
今回のアメリカ視察でアメリカ体験は4回目となった。只、始めてのシカゴ、ニュ−ヨ−クの訪問ということで若干緊張したことは事実である。とりわけまずその行程の長さに心身がこたえてしまった。関空組の3人、私とO氏、久留米のF社長の3人はまずL.Aまで飛び(飛行時間11時間35分)、そこで1時間40分待ちシカゴへ向かった。ユナイテッドのシ−トの傾斜は新幹線の半分位しか倒れずほとんど眠れない移動であった。約1時間の遅れでシカゴ(オハレ)空港に着いたのであるが(飛行時間4時間)、あろうことかL.AにてO氏と一緒に渡した私のバッゲ−ジが出てこないではないか!あわてて係の女性に問いただしたが私のヒアリング力では歯が立たず、Fさんに交渉してもらったところ詫びる様子もなく、次の便でたぶん(日本では考えられない無責任さ!)99.6%来るだろうということであった。気を取り直して待つこと約30分でやっと私のバッゲ−ジに再会することが出来ひと安心。ちなみにBaggageClaimのClaimは請求するという意味で日本で言うクレ−ムと全く同じで、BaggageClaimに思いきりクレ−ムを言いたかった私であった。やっとの思いでホテルに到着したのは現地時間で夜の9時頃であり、自宅を出発してからまるまる1日の旅であった。
2日目の朝はマクドナルドで食事をした。3ドルの安いセットであったが日本のそれとは違いまずまず食べることが出来た。L.Aは29度であったがさすがにシカゴの朝は寒い。シカゴではガ−ニ−ミルズというアウトレットのSCを見学する。JCペニ−のアウトレットはセンスも良く、寒さ対策のため12ドルのセ−タ−を買う。次に訪れたのは過去の見学を含めて通算4店目のウォ−ルマ−トでジェラシックパ−クのビデオを14ドルで買う。おそらく日本では6000円位になるのではないかと思う。ハワイでも充分時間をとることが出来なかったが今回も時間不足であった。その後、ミネアポリスに移動しミネアポリスでの夜を迎えた。周辺人口を含めると250万人の街で北緯45度の緯度にあり、わが国最北端の街稚内と同じ緯度で真冬にはマイナス20〜30度にもなる極寒の都市であるが全米優良都市の第2位にランクされる都市である。全員でバーベキューを食べに行った後、H社長の強いすすめで大半の人間がストリップに連れていかれた。私はあまり気乗りがしなかったが(エヘン!)想像していたのとはまるで違う陽気さに唖然とさせられてしまった。おもしろいのは入場料として20ドル取られるが、ダンサ−を指名することで別の場所でパ−ソナルにサ−ビスをしてくれる。20ドルの濃厚サ−ビスという訳である。女の子もそれを獲得するために頑張ってその気にさせる。たったの1ドルをステ−ジに置くだけで(^-^)v!おいしい人参をスッと持って行かれる馬の惨めさを味わう訳ではあるが、一瞬の恍惚に我を忘れてしまう!
アメリカにおいては日本のような職業における貴賎感覚があまりないようであり、性を蔑視する姿勢も乏しいように思う。とにかく人を喜ばすことで金を得るという資本主義の論理がストリップの世界においても徹底されていることに大きなショックを受けるとともに日本では考えられない1ドルの価値(故サム・ウォルトン氏も強調していた)を痛感させられた夜であった。
次の日は世界で最大のSCであるモ−ル・オブ・アメリカを視察した。92年の8月にオ−プンしたこのSCの総賃貸面積は11万7600坪という通常のス−パ−・リ−ジョナルSCの3〜4倍の規模を持っている。全米からの観光客と日本の視察者で溢れかえるこのSCはメガ・リ−ジョナルと呼べる超大商圏型のSCであり、キ−テナントとしてはおなじみのノ−ドストロ−ム、シア−ズ、メイシ−ズ、ブル−ミングデ−ルズであるが真ん中の部分がスヌ−ピ−のテ−マパ−クであり、遊園地の雰囲気そのものである。注目すべきはより絞り込みに徹した専門店であり、屋外の風呂の専門店、セキュリティ−の専門店、ケチャップの専門店、レゴの専門店等通常のス−パ−・リ−ジョナルSCでは考えられないお店が多く入っている。ただ良く解らないのは楽器の専門店がオルガンのお店を除いて全くないことであり、疑問を残した。買い物も含めて4時間余り一人で見て回ったが昨夜のストリップと同じくいささか食傷ぎみとなってしまった。John LennonのAcross the Universeを一人で口ずさんでいると何としばらくするとSC全体にレコ−ドで鳴っているではないか!おおお!(クレヨンしんちゃんみたいに!)私は我が耳を疑ってしまった!♪Jai guru devu! Nothing gonna change my world! まさにシンクロニシティ!
豊かさの意味を解らない日本の視察者はその楽しさを気に入り日本でも作ろうとするとのことである。おおいに疑問を感じざるを得ないのはマズロ−の欲求5段階説における上位の欲求に対応した商品ではなく中から下位の欲求に対応した商品が安価に供給出来る流通が実現していないにも関わらず、すぐ短絡的に見かけの楽しさを追ってしまう日本人の悲しいさがである。そういえば誰かさんの「独自固有の長所」と言う言葉も一見もっともらしいが、よく考えれば家業レベルの店に対して日本の流通業に必要なチェ−ン化を説くのではなく、大手に侵食されないための延命策を提案しているのにすぎないのだ!内外価格差のことを全く言っていない者にウォ−ルマ−トを語る資格は断じてないのだ!誰かさんの絶賛したディズニ−のお店に女の子用のかわいいドレスがあったが、そんなものが買えるというのは基礎的な商品が安価に買えるという渥美俊一先生の言う「経済的民主主義」が貫かれているからなのであり、日本においてはまずその部分の充実を目指すことが重要なのであり、趣味的な分野での固有の長所の発見というのは現代の商業者に課せられている義務の放棄なのである。何故、かくにも日本の流通業の視察者はアメリカのお店を自分勝手に見てしまうのであろうか?競争の少ない日本の流通関係者はあまりにも勉強不足である。
やって来ました!ニュ−ヨ−ク!ラガ−ディア空港に夜9時に到着。マンハッタンまではバスで約1時間。ホテルに着いてまずびっくりしたのは日本人のギフトショップが作っている日本語の地図でワイキキ以上に日本人が根を生やしている事実であった。また地価が高いために今までアメリカで泊まったホテルに比べて非常に粗末なホテルであったことにも驚かされた。その日はとりあえず久しぶりの日本食の博多ラ−メンを食べて寝る。次の日はO氏の案内で名所を回った。まずセントラルパ−クを散歩し、その広さに驚かされた。次にメトロポリタン博物館に7ドルを払って見学した。エジプトのコ−ナ−だけでも充分広すぎその規模に圧倒されてしまう。圧巻は武具のコ−ナ−でヨ−ロッパのもののみならず日本のよろい、かぶとまで展示してある!ある時は愛し合い、ある時は芸術を創造し、ある時は戦い合った人類の営みの歴史の重さに思わず身震いし、神の存在を強く感じたのであった。モ−ル・オブ・アメリカと同じく食傷気味となり、ただ茫然として入り口の階段で一時をすごした。階段にたたずむ人々は世界各国からやってきた旅行者であり,民族のルツボと化していた。
バスに乗り、ダウンタウンの南端まで行き、自由の女神の見えるバッテリ−公園に行く。1884年にフランスから独立戦争での同盟を記念して送られた自由の女神は全てのアメリカ人にとって母のような存在であるようだ。それにしても何故アメリカではこうも泣けてしまうのだろうか?前世でアメリカで幸せに暮らしていた時に何か悪いことでもしたからかもしれない。どうも日本より天国にも地獄にも近いような気がする。天国から追放され日本という狭い、うっとうしい、腹の立つ国で汲々として生きねばならない悲しさからか、肉体は日本人だが心はアメリカンという分裂した自己のせいだろうか?あまり感動していない日本人を見ると「こいつら全くジャップだな−」と思ってしまう。♪Lie-la-lie THE BOXER Paul Simon
インディアンからの襲撃に備えて作ったウォ−ルがその地名の由来であるウォ−ル街を回った。世界経済の中心地であり働く人々の動きは商人の街大阪以上にせっかちであり、世界一の信号無視の多い場所のようである。それにしてもニュ−ヨ−カ−たち(日本人も多い)のさっそうたる歩きは女性も含めてビジネス戦士にふさわしい。証券取引所で八百半の和田会長のような想いはとても持てないが気持ちだけ壁にほほをつける。(上場というようなことではなく国際的に影響力を発揮できるような仕事がしたい!という想いからである。)
エンパイア・ステ−ト・ビルを抜いて世界第2位となったワ−ルド・トレ−ド・センタ−に昇った。マンハッタンの周囲の島を一望に見渡せる高さ419m、110階からの展望を楽しんだ。大阪から来ていた女の子達に京都のお茶「おのみやす」をあげた。エレベ−タから降りる時、人員が満杯になったため私とO氏の間でロ−プが引かれた。友人だからと言っても担当の黒人女性は全く取りつこうともしなかった。日本ではまず考えられないが、まさにデジタル感覚であると思った。日本人は「まあ、まあ」とか「ある程度」ということが通用するアナログ感覚だと思った。
恐いと言われる(夜は特に)地下鉄でミッドタウンまで戻った。地下鉄は全て$1.25でト−クンと言うメダルを買いゲ−トを通る仕組みになっている。どこまで行っても同じ料金である。(日本の公共料金のなんと高いことか!)ただ日本のように同じ駅を自由に階段で移動出来るのと違い、行く方向によって乗る場所が違い、文化の違いを痛感させられた。ホテルの近くにはなんと立ち食いうどんのお店があり、その日の夕食はうどんですませた。O氏は疲れで先に寝てしまったため、一人でホテル内のカラオケ・バ−に行った。日本の発明品であるカラオケ(語源は空のオ−ケストラという意味)は今や世界中に拡がる文化となっている。驚かされたのはその値段の安さで5ドルで2ドリンク、歌は歌い放題で全くタダ!29才の男性が司会をしながら機器を操作(パイオニア製である)する。驚いたことに彼はHISAOを発音出来ず、私だけ紹介なしでビ−トルズ・ナンバ−を4曲ほど歌い、アメリカン的乗りの良さをアピ−ル出来た。ただ日本のそれと違いテロップの動きが全くデタラメで、声域に合わせたキ−のチェンジもうまくやってくれず非常に歌いづらく、全く歌えなかったところもあり、くやしかった。次の日は汚名挽回とSさんとともにパイオニアのカラオケモデル店になっているメロディ−・カラオケ・ボックスというお店に行った。3連休明けということで客はほとんど居なかった。在米20年になる私と同世代のシバタさんという人がオ−ナ−でブロ−ドウェイをめざすアメリカ人の役者がよく歌いに来ると言う。ここでも1人の黒人に受けることが出来た。シバタさんにはHenrryというアメリカンネ−ムを命名していただいた。シバタさんもジュンイチと言わずJayと名乗っているとのことである。あとで入って来た日本人のカプッル(男の子は半年、女の子は10年の在米)の前で日系人を装い英語風に「いとしのエリ−」を歌ったら彼らはすっかりだまされてしまったのだ。この店にはメインステ−ジの他に大小5つのボックスがあり、在米駐在の日本人サラリ−マンがうさ晴らしをしていた。ただ、そのうさ晴らしの仕方が尋常でない。女性も含めて乱知気騒ぎのような騒ぎようで3度も床に飲み物をこぼし、その都度店員の手を借りていたのだ。シバタさんに言わせると、商品を仕入れる立場は楽だが、売る方の立場は非常にしんどいということである。(言葉や文化の違いを考えれば容易に想像出来る。)どうも学校英語が出来るというような基準だけで駐在員が選ばれているのではないか?大切なのはアメリカン・スピリッツを理解出来るかどうかであり、演歌から抜け切れない日本人はまずNYでは生きていけないようである。
NYは恐い街のようである。充分想像はできる。車に乗っている人間どうししょっちゅうののしりあっている光景は先月のハワイとは格段の違いである。 “Fuckingxxx!”「どかんかえ−!わりゃ−!なにさらしとんじゃ−!」といった河内弁に通じるノリがある!何故、恐いのか?要は脱落者の総数の割合がアメリカの他の都市に比べて多いからである。アメリカ資本主義はNYがその頂点に立っている。世の中の人々を喜ばせるモノを創造した人々にはまさにアメリカンドリ−ムが待っている。何故これだけ円高になっているか良く考えて欲しい。日本のマスコミは日本車を叩きつぶす光景を過剰に報道し、それがアメリカ人の全ての気持ちだと言いたげに報道し、多くの日本人もそれを信じている。とんでもない間違いである。日本を世界の中で経済大国に押し上げたのは通産省でも外務省でもなく、TOYOTA,HONDA,SONY,PANASONIC,NINTENDOetcと言った自動車、家電、精密機器、TVゲ−ム、カラオケ等の業界におけるパイオニア的メ−カ−だったのであり、それらの製品が多数のアメリカ人をハッピ−にしたからこそ現在においてこれだけの円高になっているのだ!私のウォ−クマンを見るとアメリカ人は「新製品か?」と聞いてくる。Made in Japanだと言ってやると日本にもSONYがあるのかと聞く始末である。トホホ…♪こうしてお酒が飲めるのも本田さんのおかげです!盛田さんよありがとう!山内さんよありがとう!兵隊さんもありがとう!♪感謝!中内さん頑張って!
アメリカのウォ−クマンはMade in Americaであり、値段も19ドルから39ドルのチ−プなものである。あまり細かい音の違い等気にしないというおおらかな国民性ということもあろうが、日常の基本的な豊かさを充実させるために趣味品は出来るだけセ−ヴするからという。NYの5番街やLAのロデオドライブに溢れる日本人の悲しき貧しさよ!これだけアメリカを見て、まだ日本が豊かだと思っている不感症の経営者は早急に後身にその座を譲るべきだ!このパラダイムシフトの時代にあってはもうあなたたちの古い感性ではこれからの激動の時代を乗り切ることは出来ない!故にあなたたちの存在価値は既に無い!と敢えて私は断定する!
NYに危ない場所は確かに存在する。要はそこに行かなければ良いのだ!危ない場所が存在するからNYが全部危ないように言うのはとんでもないデマゴギ−である。ウォ−ル街からハイクラスの住宅地に帰る地下鉄のラッシュの時間帯では犯罪はまず起こらないのである。それと競争社会であるアメリカの現実を知らない無防備な日本人旅行者の振るまい。ガイドにすすめられたポロシャツにGパン、足元はスニ−カ−、ハンドバッグは肩から斜め掛けにしてみたものの新品ばかりで違和感を与えカモネギ状態になってしまう。おのぼりさんまるだしで一人で女を買いに行き、ポ−チに大金を入れて酔ってニヤニヤしながら帰る姿を見たら私でも襲ってやりたくなる。日本人はあまりにもEazy Targetになりすぎているのだ!
ありました楽器街!(48th st) どういう訳かMusical Instrumentと言うようです。お茶の水に比べると少し店が少ないようですが、日本には無いブランドの商品で溢れかえっていました。私と同年代の男性がアコ−スティクギタ−を弾き比べていたのですが、とても上手!アメリカの音楽ファンの層の厚さが容易に想像されます。やはり良いギタ−はアメリカでも高額で1000ドル以上するようです。ただしフェンダ−のそれは250ドル位で良い音がしていた。湿度のせいもあるようだ!来年には絶対買いにくるぞ〜!! IBMのビルをSONYが買い取ったということで見にいったのですがSONYプラザ等の店があり、CBSが版権を持っているグッズを売っていたのですがそこで流れていたPaulSimonのKathy's songは私の聞いたことのないバ−ジョンでその美しさにハッとさせられました。Paul Simonの歌はNYにピッタリなのです。♪Da-n-do-da-n-do-da-n-do here I am.The only living boy in New York.♪
さっぽろラ−メンの店でちらっと大阪弁が出た若者に「大阪出身?」と聞くと滋賀とのこと。大学は出たものの就職が出来ずにNYに遊びに来ていついてしまったとのこと。名刺を見せると私の想念が少しは伝わったようで、帰ったら電話をさせてくださいとのこと。まさかNYでリクル−ト活動をするとは思いもしなっかたのです。彼にも「おのみやす」をあげると喜んで飲んでくれました。
本場のJAZZも聞きたかったし、Oldies店にも行きたかったし、未練の残るNYであった。LAまでは約5時間のフライト!巨大な大陸を一気に飛んだ。しかしまあこんなデカイ国と良く戦争したことだ。よっぽどマーケティングなんて視点がなかったからだ。英語がかなり聞けるようになって来た。意味は解らずとも音はかなりキャッチできるようになって来、「25番から35番の方はご搭乗ください。」というアナウンスがはっきりわかった。
LAは3回目なのと望郷の想いと日本人への嫌悪感のため終始気分が乗らず、カリフォルニアの青い空とは反対の気持ちで過ごしてしまったのでした。オフィス・デポとサムズクラブもハワイでうんと買っていたのであまり発見することもなく結局LAでは一枚も写真をとらなかったのでした。
ロスという言葉には360円時代にアメリカへ行ったという優越感が表れているように感じるのは私だけでしょうか?こんな国際時代にアメリカ人に通じないLoss(=損失)なんて言うなヨ!エルエ−とかロサンジェラスとかちゃんと言え!
現在の文具業界からは革命児はごく少数しか生れないように思えてしかたない。勉強していないメ−カ−のエセ情報を聞いて安心するために来たとしたらなんてくだらない旅行であることか!あまり永い間勉強しないでいると頭が硬直して考えられなくなってしまうのでしょうか?くやしかったら電話をして来い!望むならば目からうろこを落としてやる。私はあなたたちに媚をうるようなコンサルタントには成りたくないから自分の実業をもったのだ。誰にも出来ないならそのうち私が真の日本型オフィスサプライを作ってやる。
帰りの飛行機ではまたまたラッキ−にもNYのとなりのニュ−ジャ−ジ−州立大学で日本文化と日本文学を研究しているというドクタ−・ポ−ル助教授と一緒になった。日本は4度目で1週間京都に滞在し、その後東京に行くとのこと。42才と私と同い年である。私は自分の趣味や飛んでいる信念を彼に伝えた。私は言った。「21世紀には世界が一つになるべきだ!」と… それから“I believe that I was a American in my last life, and I think that you were a Japanese in your last life”と言うと彼は“May be!?”と応えた。最初にサンフランシスコに行った時強い郷愁を感じたと言うと彼も京都でそれを感じたと言った。好きなバンドはCCRと言ったので私はCSN&Yが好きだったと言った。好きな日本人作家は村上春樹と言ったので私は村上龍が好きだと言った。どうも縁が深いようである。神戸を案内したいから土曜か日曜に電話をして欲しいというと心良くうなずいてくれた。“Do you bet?”と聞くと“Sure! I bet.”と応えてくれた。週末が楽しみだ!
後書きあまり流通業の視察にもならなかったし、コンサルティングの受注の依頼の可能性もない旅行に終わってしまった。それでもマクロな観点から言えば私の「人生観」が変わる位の強烈なインパクトを与えてくれたNYであった。Henrryの名に恥じない国際人になり、国際的に影響を与えられる人間になりたいと今強く想っている。気分の悪いことも多々あったが、このような機会を与えていただいた人々と自分の運命に感謝してペン(=キ−ボ−ド)を終えたいと思います。ありがとうございました。I'll be back in New York!